初回の記事から1年半が経ちました。
めちゃくちゃ色落ちしたわけではありませんが、徐々に育っています。
↑全体像。なぜか右の膝頭が白くなっています。あまり記憶にないのですが、無意識に右膝を付くことが多いのでしょうか…
↑ヒゲの周辺。
↑後ろ姿。
↑ハチノス。
↑おしり周り。スマホの痕がくっきり。
↑バックポケット周辺のアップです。ステッチが切れてきています。レーヨンの赤タブは丸まってはいませんが、ヨレヨレです。
↑裾のチェーンステッチ。ところどころ、切れてきています。
染めが濃いのと、厚い生地のため夏に穿いていないことから、なかなか色落ちが進みません^^;
ところで、ジーンズがもともと労働者の衣料だったことは、デニムファンなら常識でしょう。しかし、なぜ富裕層にも浸透してきたのか。アイヴィーリーガーがファッションに取り入れたとか、現象面ではいろいろと言われているところですが、人類史の側面からも説明されています。
今日の人々は平等というものを信じているから、裕福な家の子供がジーンズをはくのが流行になっている。ジーンズはもともと、労働者階級の衣料だった。中世の人々は階級区分というものを信じていたから、貴族の若者は農民の仕事着など絶対に着なかった。
ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』
ハラリ氏は、私たちホモ・サピエンスは、みんな虚構を作って集団生活していると説きます。それがほかの生物や、ネアンデルタール人ら私たち以前の人類と異なる点だと。
なるほど宗教や法律、経済など、私たちは実体のない話やシステムを生みだし、みんながそれを信じたり共有することで何となく秩序だった生活を送っています。
そして、ファッションも。動きやすいかどうかや暖かいかどうかという機能的な違いや、そして汚れているかいないかという違いは実体としてあります。しかし、いわゆるTPOつまり礼儀の正しさや無礼さ、階級によって着る服装などは、人間が生み出したルール。つまり大多数の人が共有している虚構です。
人々が自由だ平等だという考え方が出回り始めたのは、米国では英国から独立した1776年以降。でも依然として奴隷制は残っており、奴隷を認め続けるかどうかで1880年代の南北戦争につながります。ちょうどジーンズが生まれたころです。
南北戦争や第二次世界大戦を経てようやく自由と平等がルールとして定着し、服装と階級の関係は完全に崩れました。そして1960年代のリーバイス66モデルなど労働着じゃないジーンズが流通し始め、現代に至ります。ヒッピーが自由や平等の象徴としてジーンズを愛したのも、価値観の変遷と無縁ではありません。
自由や平等というルールについての論評は別にして、ジーンズには、数百年にわたる人類の価値観の変遷が投影されているわけです。同じことが、スーツにも言えるかもしれません。現代の農家はスーツの一着や二着は持っているでしょう。
…なんてことを、一本のジーンズから紐解き、キャバクラで女の子に語ってみたわけです。すると、30秒で白目をむいて失神していました。ジーンズとは、ロマンとともに恐ろしさも秘めた服だと実感しました…
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